えいち家のはなし1「父さんの楽しみ」
ボクは えいち家の 三人兄弟のすえっ子。
お姉ちゃんと お兄ちゃんが いる。
ボクが まだ小さい、年少のころの はなし。
父さんは 無口で おとなしくて 仕事もいそがしかったせいか
あんまり しゃべったり、出かけたりした 記憶がなかった。
唯一覚えているのが ウメ酒事件だ。
毎年 ウメ酒をつくるのが 父さんの役目だったらしい。
日曜の夕方だったと思うけど 洗ったウメを容器にいれて
楽しげに しかし黙々と 父さんは 透明な液体を注いでいた。
「そうか、ウメに水をいれると ウメ酒ってのができるんだな」
ボクはそう思いながら、その作業をながめていた。
同時に 「やってみたいなあ」とも思った。
父さんが 容器の半分くらいまで 液体を注いだ時に
「ちょっと足りねえか」と言って台所の母さんの方に行った。
ボクは 父さんがいない間に完成させて ビックリさせちゃおう!
と思って容器が一杯になるように せっせと水を注いだ。
水あそびは 楽しいよね。
あたらしい 液体を抱えて戻ってきた父さんが絶句した。
「おい! なんで一杯になってんだ」
「ボクがいれといたよ」
「バカヤロウ! なにやってんだ!」
「・・・?」
いつも 静かな父さんが 初めてボクを 怒ったのが この事件だった。
ウメ酒作りが 年に1度の 父さんの楽しみだったらしい。
透明な液体が 水でなく 「ホワイトリカー」というお酒だったことは
しばらくしてから やっとわかった。
えいち家のはなし2「おにいの変な味覚」
ボクは えいち家の 三人兄弟のすえっ子。
お姉ちゃんと お兄ちゃんが いる。
朝おきると お姉ちゃんは もう学校へ行っていない。
お兄ちゃんは 朝ごはんを たべている。
ごはんに グルグルとマヨネーズを かけている。
「うわ、きもち わるいなあ~」と ボクは いつも 思うけど
とってもおいしそうに 食べている。
マヨネーズごはんは 最近は よく聞くけど ボクがまだ小さいころは あんまり きかなかった。
あと変な実験もよくしていた。マンガで 見かけたので
試そうと思ったらしんだ。
ボクがこたつで うたた寝をしていたら顔のうえに
白コショウを たくさんかけられた。 目に入り、鼻に入り
苦しくて死にそうになった。 涙と鼻水、それにゲボみたいなのも
出てくるし 鼻の中は 痛くて たいへんだった。
母さんがすごくおこったよ。
お兄ちゃんは ボクがくしゃみをするかどうか
ためしてみたかったっていってたけど 自分で試せばばいいいのに!
そういえば あの時のことは まだ あやまってもらってないなあ。
ほかにも お兄ちゃんには ずいぶん 食べ物で いじめられたよ。
ごはんに 塩が たくさんまぜてあったり からしのついた
飴を なめさせられたこともある。
初めて ビールを飲んだのも お兄ちゃんと 競争するためだった。
ビールの成分をよく理解していない ちびっ子のボクに
「苦いコーラのみ競争」を挑んできた。 舞台は おばあちゃんの お通夜。
すでに酩酊した親族の年配ギャラリー。 花札に興じながらも「やれやれえ!」の歓声にボクたちは テーブルにずらりと並んだ 飲みかけビール(お片づけ)競争を始めた。
お兄ちゃんは3才も年上のなのに なぜかちびっ子のボクの方がたくさん飲めた。
「そうか、あたしの遺伝子はあんたの方に全部いっちゃたのねえ。遺伝は怖いねえ。」
そういうと母さんはボクの頭をなぜながら
「おじさーん。この子に賞金でないの~!?」
と叫んだ。べろんべろんの おじさんたちは 飲みかけビールお片づけ競争の賞金をボクにくれた(らしい)けど、あのお金はどこにいったんだろう。 あとから お姉ちゃんに聞いたけど 1万円札だったらしいんだ。
「飲める遺伝子」提供者がネコババしたんだな、きっと。
えいち家のはなし3「いじめって遊び?」
ボクは えいち家の 三人兄弟のすえっ子。
お姉ちゃんと お兄ちゃんが いる。
ボクが小学校の時、「いじめ」がはやった。
今のイジメとは違い、いじめるターゲットが日替わりなのだ。
昨日まで普通だったのに、ある日学校へ行くと誰も口をきいてくれない。
「イヤだな」って思っていると五十嵐がそばにきて
「今日はおまえの番みたいだぞ」ってことになる。
孤独な給食時間と 数回の休み時間をすごし、
放課後の掃除の時間になると終了らしい。
「いったい誰が こんなこと決めてるんだよ!」
なかのいい 五十嵐や今井もわからないらしい。
そのころクラスには3つの勢力があった。
いわゆる進学コースの数人。
この数人は 互いがライバルで 競いあっていても四谷大塚という
偉大な看板のもとに 結束したエリート意識の連中で男女おりまぜ5人はいた。
それからボクたち。
ボクたちは塾にもいかず、特別な習い事もしていなかったけど
成績はそこそこで 教科によっては 四谷大塚連合を粉砕していた。
かなり わんぱくで 女子もまざっていたけど
いつも外遊びに熱中していた。
あとは おとなしいチームだ。
この人たちは 鉄道の話や 女子はビーズなんかをやっていた。
で、「イジメ」ゲームの発案者と指揮者を探すと
どうやら四谷大塚連合にいる 森山っていう女子だってことが判明した。
森山は朝早く教室に来ていて 登校してきた子に
「今日は○○を無視するのよ」って命令していたらしい。
そして森山が塾に行こうと急いで下校するとその日の
「イジメ」ゲームは終了するってことだ。
森山は前にも 男子ととっくみあいのけんかもしたし、
気の強い転校生だ。みんな 逆らえないので いうことをきいていたらしい。
自分の命令通りになるのが おもしろいだけで
ターゲットは誰でもいいんだな。 ってボクは感じた。それにターゲットを毎日替えていたのは 森山のかくれた良心だったのかもしれない。
森山とは2年間同じクラスだったけど 1度も口をきいたことはなかった。
えいち家のはなし4「美術への誘い」
ボクは えいち家の 三人兄弟のすえっ子。
お姉ちゃんと お兄ちゃんが いる。
ボクが少し大きくなって 学校で「美術」という専門の先生に
教えてもらう教科ができた。
この日は 15センチくらいの木のかたまりが全員に渡され、
「これから1ヶ月かけて この木に彫刻をするんだ、自分の顔を
よく見て 少しずつ ほるんだ。」
愛想のない 専門の先生が そういった。この先生は変わり者で有名だ。
生徒に指令をだすと さっさと準備室に入ってしまう。
何をしているか わからない。
でも先に この先生の授業をうけていた お姉ちゃんや お兄ちゃんは知っていた。
「あの先生、準備室で スキヤキ作ってるよ」
「俺の時は ご飯を炊いていた」
「放課後に行くと 他の先生たちと するめをやいて お酒飲んでるよ」
先生はグルメで 学校給食に不満があるらしく
自分で昼食を作っているらしい。
そういえば なんか いいにおいが することもあるなあ。
それは さておき 彫刻だけど やってみると
むずかしくて なかなか進まない。
先生も たまに顔をだしては
「そんなじゃ手を切っちゃうなあ。」
「あ-あ、ほりすぎっちゃたよ。」
と、つぶやいている。いっこうに進まないので業を煮やしたのか、
「じゃ、ウチに持って帰って 来週までに少しすすめてこい。」
と宿題にされた。
事件がクラスのみんなに公表されたのは 翌週の美術の時間だ。
「おい、どうしたんだ。宿題を机のうえにだしなさい。」
美術の先生は ノロノロしている ボクにこういった。
ボクには 宿題をだせない事情があり 時間をかせいでいた。
みんなが 作業に熱中したあたりで 先生に告白しようと思っていたのに
目にとまってしまい けっきょく 全員の前で 宿題を見せることに
なってしまった。
我が家は 父さんが大工だ。お姉ちゃんも お兄ちゃんも
なんか色々作るのが好きな人たち。今思えば こんな家族のいるまえで
彫刻の宿題を 広げた眠ってしまったボクが浅はかだったのだ。
ボクが寝入ったのを確認すると
「俺に掘らせろ!」
「あたしにも やらせてよ!」
と一悶着あって 家族全員が共犯でボクの 彫刻をとても立派な胸像に
仕上げてしまっていた。
そのできばえは 博物館にある彫刻のようで とても素晴らしかった。
美術の先生は 怒らずに こういった。
「なかなかのものだなあ。 姉ちゃんたちに やられたのか。おまえんとこは みんな変わってるからな。」
‥そうか、この先生に変わり者といわれるとは! ウチは本当に変わり者なんだ、って初めて自覚させられたのが、この事件だった。